電撃解任の小林賢太郎氏“笑えない”過去…評論家も「解任、説明責任やむを得ない」
小林氏は21日、1998年にリリースされたお笑いビデオ「ネタde笑辞典ライブ Vol.4」のコントで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」なるフレーズを使用していたことがSNSで拡散し、ユダヤ人の人権団体、サイモン・ウィーゼンタール・センターが声明を発表。22日、組織委員会の橋本聖子会長(56)は解任を発表した。
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多分お笑いコンビが打ち合わせをしているシーン。片桐仁氏が過去にあったNHK教育番組「できるかな」のゴン太君の格好・小林賢太郎氏がのっぽさんの格好をしている。
視聴者からの葉書が来たので二人でそれを見て、話し合っている。
「ゴン太君気持ち悪い。」
「のっぽさん喋りすぎ。」
「温泉から中継する意味がわからない。」
「深夜一時からじゃ子供が見られないので放送時間を変えてください。」
「のっぽさん、咥えたばこはやめてください。」
などが視聴者からの葉書の内容で、結果的に、視聴者からのダメ出しが列挙されている形。ただ明示的に「コントでしてはいけないことを列挙する」と言っているわけではない。
そこからボーイズラブ的なくだりを挟んで、来週のコントで何をやるかの打ち合わせに入る。
のっぽさん役の小林氏「プロデューサーの戸田さんが、「作って楽しいものもいいけど、遊んで学べるものも作れ」って言っただろ。それで考えたんだけど、野球をやろうと思うんだ。今までだったらね、新聞紙丸めたバット。ところが今回は、ここに「バット」っていう文字を書くんだ。
今までだったらただの丸めた紙の球。ここに、「球」っていう文字を書くの。
そして、スタンドを埋め尽くす観衆。これは人の形に切った紙とかでいいと思うんだけど、ここに「人」っていう字を書く。
つまり、文字で構成された野球場を作る、というのはどうだろう?」
ゴン太君役の片桐氏「いいんじゃない?じゃあちょっとやってみよっか?
ちょうどこういう人の形に切った紙がいっぱいあるから。」
小林氏「あー!!あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな?」
片桐氏「そうそう!そうそうそう!」
片桐氏「戸田さん怒ってたなあ。」
小林氏「放送できるか!!つってなあ。」
片桐氏「ああ、ああ。」
小林氏「こんなにあるのか!まず、この人型の紙に、人っていう字を書いていくんだ。、、、できるかな、できるかな、縦縦横〜(替え歌パートに移っていく。)」
、、、
以上です。大体他のサイトも関係するシーンとしてこれくらいの描写の記述が多いと思います。
それを見た時に、「この箇所だけではわからないのではないか?コントの全体を見れば、もっと他のセリフにより、作者の隠れた意図が読み取れる可能性があるのではないか?そこまで見てみないと、このケースを判断することができないのではないか?」
と思いました。コント全体では9分ほどです。心底驚きましたが、結局ホロコーストの話が出てくるのは上記の場面のみなんですよね。
その後は
ジャジャ丸さんとピッコロさんの結婚式の話
「人」という字がゲシュタルト崩壊を起こした話
最後にボーイズラブ的なくだり
ということで、やはり関係箇所は上記のシーンのみでした。
これだけ!?
という印象。
ですから、そういう抜粋の仕方をしているサイトも、適切な抜粋だった、ということだと思います。
私の個人的な考え方として、「コントでは「ホロコースト」という言葉、それに関する言葉を絶対に言ってはいけない」とは思いません。
そんなのメチャクチャでしょう。それじゃホロコーストに関する歴史的な議論も許されないでしょう。討論番組なら問題無く、コントで扱うのはダメなんでしょうか。そんなの誰が決めたんでしょうか。
コントでは笑わせることしか言わないんでしょうか?
そんなのそういう固定観念を持っている人が勝手に言っているだけでしょう。
実際コントで政治的な話を入れるケースも存在するわけで。そして観る側も、別に笑えることだけを求めているわけではなく、心底納得できるような話、一般的な視点とは異なる視点を持った主張など、笑い以外で観ている人を感動させること、満足させることはできますよね。
結局コントの中で触れたこと、それのみをもって「ホロコースト・その被害者の方々を侮辱した」ということになるとは限らない、ということですね。
ですから、何らかの理由で、
「自分は大量虐殺などの非人道的な行いに対して、今、命をかけて主張しなければいけないんだ!
それを自分が人生をかけて取り組んでいるコントの中で主張する必要があるんだ!
うまく伝わらないリスク、誤解を与えて人を傷つけてしまうリスクがあるのはわかっている。しかしそれでも自分がやらないといけないんだ。だから誰に何と言われようとこの思いをコントの形で表現しなければならないんだ!」
というような動機で、コントの中ではっきりと「非人道的な行為は絶対に許さない、断固反対する。」という主張を
はっきりと、明確に示す
のであれば、コントの中でホロコーストという題材に触れてもいいと思います。
表現の自由があると言えど、多分ホロコーストを使って許されるのはそれぐらいなんじゃないでしょうか。観る全員がはっきりとわかる、外国人でもはっきりとわかる、それくらいはっきりと示す必要があるでしょう。
なんならもう「笑い」よりも「非人道的行為への反対」の方がメインになってしまうでしょう。そうであっても
「それが目的なんだ!それでもやるんだ!」
と本人が言うのなら、それは本人の自由でしょう。
もしかしたらそれでも外国人から、あるいは日本人から批判を受ける可能性もあると思います。
ただ、上記のような信念・覚悟を持って作った表現であれば、仮に批判を受けた場合でも、(国としてそういうスタンスを示すかは別として、少なくとも個人レベルでは)
「でも実際に全部観てみると、この人たちの伝えたいメッセージは最初から最後まで一貫して「非人道的行為を絶対に許さない」ということ、みたいだよ。」
というふうに擁護する人たちも多いはずでしょう(五輪ディレクターを辞任すべきかどうかは別として)。少なくとも今よりは。
そして実際問題とされているコントがどうかというと、
非常にわかりにくい。
雑(ざつ)。
という印象を受けました。どう言うメッセージなのかよくわからない。一応登場人物の上司的な立場の「プロデューサーの戸田さん」が「そんな企画使えるわけがない」と言う形でホロコーストを否定する立場を示してはいます。
実際youtubeのコメントでも、そのことを以って、
ネタの中でユダヤ人大量惨殺ごっこをやった、みたいな伝わり方をしてる気がしますが、 絶対やっちゃいけないことの例として「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というワードを用いた、というのが真相ですね…
というような擁護も見られます。
しかし結局登場人物の二人(のっぽさんとゴン太君)は両方とも「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」をしようとした、という形なんですよね。
「絶対やってはいけないこと」を列挙していることも明示的ではない。話の流れの中でそう受け取れるかもしれない、と言う感じ。
これではコント全体としてどう言うメッセージを発信したいのかよくわからない。
というかホロコーストに関して何らかのメッセージを主張・発信したいのか、しようとしているのかも微妙な感じを受けます。
ただの個人的な推測ですが、「断固とした信念・決意」とかではなく、「『もうひと笑い欲しい、もうひと笑い足したい』と言うことで考えて頭に浮かんだのがこれでした」と言う感じを受けます。
仮にそうであるなら、ここで笑いを取るために必要なのは「企画として絶対通るわけが無いありえないこと」であれば何でも成立するでしょうから、絶対ホロコーストを使わないといけないわけではないですよね。
それしか思い浮かばなかったのかもしれない、それがその時ベストだと思ったのかもしれませんが、リスクが大きすぎますよね。
その割にほとんど誰のためにもならないような気がします。間違いなく本人たちのためにもならない。
実際「もう一笑い」くらいの笑いは取れてます。
芸人なので笑いとってなんぼ、結果出してなんぼの世界なのかもしれませんが、それでも本人たちのためにならない。
その目的で使っていい題材じゃないんですよね。
リスクの大きさに対して、メリットが小さすぎる。
結局「非人道的行為への反対」がメインでは無いので、(ホロコーストが)さらっと出てきて、すぐ話が変わって、それ以降何も無い、と言うことのような気がします😅
これでは抗議をしてきている団体に対して「この人たちがコント内で主張しようとしているのが「非人道的行為への反対」であることははっきりしていますよ」
とは言い難いですよね。実際ホロコーストやその関係者を侮辱する意図はなかったんだと個人的には思いますが、人の考えていることなんてはっきり確認できないわけですから、表面的な言動から推測するしかない。
そして外国人が日本人の特定のコントに対してそこまで深く掘り下げて観る義務も無い。はっきりしている表面的な事実としては、「コントの中で”Let’s play holocaust”的なことを言った」ということになってしまう。
そういうことなので、「23年前のこと」とは言え、抗議を受けたのであれば、辞任という流れになるのはやむを得ないような気はします。非常に難しい問題ですが。
結局、誰かを傷つける(可能性のある)ようなネタをやることには「それなりの」リスクがつきまとう、ということでしょうか。
一見、その時は何も起こらない、それで終わり、のように見えても。今の時代、本当にそれで終わりかは全くわからない。